願い
- 2014.12.02
- 脳脊髄液減少症
中学2年に、脳脊髄液減少症を患わた長野西通信制3年 石井瀬奈さん
三重県で行われた中部地区高校通信制生徒生活体験発表大会で優勝されました。
長野県の生徒の優勝は、平成15年以来だそうです。
そして先日の全国高等学校定時制通信制生徒生活体験発表大会では、文部科学省初等中等教育局長賞を受賞されました。
病を患われ、本人としては不本意であった事々、いかに現状のベストを貫き、さらに将来へつなげようとする非常に勇気ある、そして心こもった暖かい発表であったと思います。何度読んでも涙が出る想いです。
この石井さんの受賞を含めた中学、通信制高校での頑張り、心から祝福させて頂きます。
そして、さらに脳脊髄液減少症の認知が進む事を切に願います。
以下、受賞作全文です。
「願い」
私は中学二年生の春、病気になった。
ある日突然激しいめまいと吐き気に襲われて、立っていることが困難になった。
学校代表選手として陸上の大会を控えた四日前の出来事である。大会は棄権した。
その後、私の身体は良くなるどころか日に日に症状が増えて、悪化していった。めまいと吐き気に加え、耐え難い頭痛や四肢の痛み、全身倦怠、思考障害などに悩まされ、この時既に起き上がることが出来なくなっていた。
所属していたバスケ部は勿論、学校にさえもほとんど行けなくなった私を待っていたのは、ほぼ寝たきりの生活だった。自宅の天井を見つめるだけの毎日。
発症から三ヶ月、四ヶ月たっても、病名は分からなかった。ドクターショッピングを繰り返し、様々な検査を数え切れないほどしたが、どこの病院へ行っても原因不明。どんなに薬を飲んで対処療法を行っても、症状が止むことはなく、周囲からは単に怠けているだけじゃないかと言われ、酷く傷ついた。
本当は学校に行きたいのに行けない。動きたいのに動けない。ただ寝ている事しか出来なくて絶望する私を、母が必死になって支えてくれた。会社と病院と家を毎日往復し、必ず治るからと励ましてくれた。
同じ頃、部活のコーチからも一通の手紙を貰った。
『必ず治してコートに戻って来い。待っているから。』という内容だった。
短い文章だったが、嬉しかった。私は必ず治してもう一度コートに立つと決意した。
病名が分かったのは発症から半年後だった。病院の医師ではなく、母が必死に調べ、見つけ出してくれた。
私は『脳脊髄液減少症』という病気だった。この病気は髄液が漏れることによって脳が下がり、中枢神経が引っ張られ、脳の機能が低下し、様々な症状を引き起こすというものだ。
未だ、厚生労働省の認可が無いため治療費は保険適用外。更には周囲の認知も乏しいので患者は経済的にも精神的にも苦しめられる。
主な発症原因が頭や身体への強い衝撃であり、誰でもなってしまう可能性を秘めている病気である。患者の中には生きていくことすら諦め自ら命を絶つ者もいると聞く。自分がそんな病気になってしまったことが怖くて信じられなかった。
私は県内の大学病院に入院をした。しかし、治療は出来ないと断られた。安静にすれば治ると言われ、保存的治療を薦められた。
真冬の寒い時期、近くの医院に毎朝点滴を受けに通ったが、やはり治ることはなかった。母は諦めず、治療を専門的に行っている病院を探してきた。
そして、私は母に連れられ東京の山王病院にいるという専門医の先生を尋ねた。山王病院の先生は、迷う事なく治療を薦めてくれた。すぐに治る病気ではないが、治療をすれば少しずつ回復していくからと、これまでの医師とは違った前向きな言葉を私に投げかけてくれた。
私はこの病院が最後の砦だと思い、僅かな希望を託した。治療は腰に針を刺すブラッドパッチというものだった。激痛を全身に伴う治療だったが、治療後は身体が少し楽になり、学校にも週に一度くらいではあったけれど、以前よりは行けるようになった。
しかし、それでも重い身体を引きずりながらの登校は過酷だった。立っている事が辛くて保健室へ行っても、病気を軽視され、早く教室に戻りなさいと追い出された。
具合の悪い身体で教室へ行く辛さを今でも忘れられない。震える足で教室へ向かった。いつ倒れるか分からない恐怖に苛まれながらも、友達に心配をかけないように、明るく振る舞うことしか出来ない自分が悔しくて情けなかった。
もうどこにも居場所がなくなっていた。哀しくて、よく校舎裏で泣きじゃくった。ここなら誰にも見つからないから。老朽化で壊されていく体育館をぼんやり眺めながら、涙が枯れるのを待った。
オールコートを駆け抜けた日々が、古い体育館と共に崩れ去っていく。あの体育館でバスケをしていた事が嘘のようだった。
いつかのコーチの言葉が脳裏に浮かんだ。しかし、健康だった私はもういない。あの時の決意は潰え、私は引退戦を前に、退部した。
病気になってからの私はひとつずつ、成し遂げたかった多くを諦めてきた。辛い決断をせざるを得ない現実の分だけ涙も流した。
そして、地元の進学校を諦め、長野西高校通信制に入学した。不本意だった決断。
でも今は、この学校へ入学して本当に良かったと思っている。
通信制の週一回の登校は、私の心と身体を休ませてくれた。生徒会にも所属するようになり、今年度からは副会長の役も任せられた。
今では毎週の登校が楽しくて仕方ない。
私がまたこうして前を向けるようになったのは、一生懸命尽くしてくれた母と、通信制で出会った暖かな人達のおかげだと思う。
具合が悪い日もまだ沢山あるけれど、視界が歪む事のない日常は、私にとって何よりの宝物だ。
当たり前に過ごせる何気ない日々が、こんなにも素敵で幸せに満ちていることに気付けて、とてもうれしい。
長野西高校へ入学したことも、脳脊髄液減少症になってしまったことも、きっと私の糧となるだろう。
これまで意に反した選択を沢山してきたけれど、二十年、三十年先にふと振り返った時、懸命に過ごした毎日がかけがえのないものだったと誇らしく思いたい。
だから諦めるしかなかった辛い日々も、悔しさも、悲しさも、決して無駄にはしない。
その為に、今は病気をしっかり治してゆこうと思う。
健康になることが、私を支えてくれた人達への一番の恩返しであるから。そして、私が健康に戻る頃には、この病気で理解を得られずに苦しむ人がひとりでも少なくなっていてほしい。
そんな日がいつか来ることを、願って。
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佐久にて 2014.12.02
高橋先生
石井さん
よく諦めず頑張りましたね。
文章がストレートに伝わるいい作品ですね!
まだこれから沢山の可能性を是非引き出してください。
血気盛んな時期に人と違った経験をする事で
今以上に深みのある素敵な女性になられるのではないでしょうか?
未来が輝いてますね!
いつかお目にかかる日を楽しみに….
松本出身の Mより
M様
コメントありがとうございます。
御指摘の通り、人と違った経験をする事で、本当に人間性を高められると思います。
同郷、良いですね!
高橋先生
石井さん
治療ができてよかったです。
辛くて、みんなに隠れて泣いていた。とのことで、そのお気持ち
よくわかります。
浮き沈みがあったりして、ゆっくり、ゆっくり回復していくと
思います。なので、いつも希望を捨てずにいてください。
私も、時にはくじけたりしますが、希望を失わず、前をむいて
いこうと思います。
私も、症状は残っていますが、寝込むことはなくなっています。
もっと、もっとよくなりましょうね。
ふく様
コメントありがとうございます。
辛くても、苦しくても希望は大切ですね!重い言葉をありがとうございました。
高橋先生
石井瀬奈さん
私は、低随患者の1人であり、石井さんと同じ年頃の娘を持つ母です。
中学二年生から今まで、子供から大人になっていく過程で、自分の世界がどんどん広がっていくはずの時期に、世界が広がるどころか、身も心も閉ざされた時間をお過ごしになっていたこと、どんなにお辛かったことかと思います。
また、そんなお嬢様を支え続けてきたお母様のお気持ちを思いますと、涙が溢れてしまいました。
私の場合は、発症から一週間ほどで診断に至り、その病院でブラッドパッチは出来なかったものの、2ヶ月後にこのブログで高橋先生を知り、3ヶ月余り経った今は、ブラッドパッチを受け、回復途上にあります。改めて、自分がいかに幸運であったのかと思いました。
診断に至るまで、たった一週間でも不安でたまらなかったのに、それが長く続いたら・・・今の私には考えられませんが、でも、その辛い経験を糧にして前を向いて進もうとしている瀬奈さんを、陰ながら応援したいと思いました。
高橋先生がこのブログでご紹介されていた週刊朝日の記事も拝見しました。保険適用が進んでいない問題や、交通事故が原因の低随の治療費を保険会社がなかなか認めない問題、自分が低随を患って初めて知ったことが沢山ありました。
実は私は元損保社員で、主人も現役損保マンですが、保険会社の常識ですと、確かに他覚症状に乏しいこの病体では、保険金支払いにはつながりにくいのだろうと思うところもあります。
とはいえ、これだけの苦しみを伴うのですから、この病気を沢山の人に知ってもらい、理解者をふやしていくことできっと、変わっていくと思います。
お世話になった高橋先生に、何のご恩返しも出来ませんが、自分の経験を身近な人に伝えるなどして、少しでも多くの方にこの病気のことを知っていただくことが、今の私に出来る唯一のことかと思っています。
私も、瀬奈さんが締めくくられていたのと、同じ思いです。
長々書きまして申し訳ありません。
マロン様
コメントありがとうございます。
>この病気を沢山の人に知ってもらい、理解者をふやしていくことできっと、変わっていくと思います。
損保の中に、少しでもこのような意識が増えていってくれればと思います。
よろしくお願い申し上げます。
はじめてコメント。
わたしも同じく脳脊髄液減少症の患者です。1年と
2ヶ月戦っています。きっかけは追突事故でした。
おなじような症状に苦しみ2回のブラッドパッチを受けました!2回目から3ヶ月たちほぼ治りました!!
ひとことで語りきれない、心身ともにつらかった1年2ヶ月。涙、怒りでも、支えてくれたのは子供たちです。
家事もろくにできず、たくさん迷惑かけました。
完治して、助けてくれたまわりのかたがたに恩返しがしたいです!
はやく、厚生省に認められ、同じように悩む患者さんが治療を受けやすく、してもらいたいです。高額の治療費はとても家計を圧迫しました。しかし、ブラッドパッチが有効であることは、わたしが身をもって証明できます!
わたしは札幌在住で札幌市の東札幌脳神経クリニックのたかはしせんせいに治療をしてもらいました。
まだ前後に数少ない、理解のある先生に巡り会えることは奇跡だともおもいました。
山王病院の高橋先生、これからもたくさんの患者さんの力になってください。よろしくおねがいします。
漆佳奈子様
コメントありがとうございます。
漆様の目標、希望は、今までの苦しさ、辛さ、悔しさを良い経験に変えてくれる可能性があります。
益々の御回復を応援させて頂きます。
高橋 浩一 先生
石井 瀬奈 様
作文拝見しました。
私は、教育現場で脳脊髄液減少症の周知運動?をお手伝いしているものです。
当地には、高橋先生にもお出でいただき、ご講演をしていただきました。
患者様は、保険適用外という経済的負担と周囲の無理解という精神的な負担の両面から苦しまれますよね。
でも、学校の「冷たさ」は、決して、本症の方を排除しようとしているからではないのです。
「無知」ゆえの「無理解」から来ているのです。
だからこそ、そういう状況を一件でも減らすべく、頑張っているつもりです。
こんな教員がいることも、ご理解ください。
当地では、高橋先生のお力添えなどにより、教育現場でも、教員や保護者の理解もだいぶ浸透してきつつあるように感じます。
あとは、保険適用にむけて、諸事情が好転するのを願うばかりです。
私は、石井様を「同志」と考えております。
今後とも、よろしくお願いします。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
あきちゃんで~す様の御尽力には、いつも心より感謝申し上げます。
あきちゃんで~す様のような理解者が増えて、諸事情が好転する事を切に願っています。
瀬奈さんの「願い」を何度も何度も読み返しました。
〝当たり前に過ごせる何気ない日々がこんなにも素敵で幸せに満ちていることに気付けてうれしい〟という言葉が印象的です。
病気になったことは辛いけれども、高橋先生との出会い、お母様や仲間の支えがあって、乗り越えたからこそ、心に響きました。
今後のご活躍を陰ながら応援しております。
松本市 hiromi
hiromi様
コメントありがとうございます。
本当に何度読んでも、心に響きますね!理解者が増えて頂ける事、願っています!
この文章を、読んで感動しました。若い時に人生の辛さを味わうのはどれほどのことだったでしょう。それをこのように静かに受け止める心の強さ。そして、周りに感謝できる心の美しさ。素晴らしいです。私も20年以上、頭痛に苦しめられてきました。脳脊髄液減少症とわかり、治療法があると知った時は感動しました。苦しみを知っている人は、人にやさしくなれると信じて歩いていきたいです。
はなこ様
コメントありがとうございます。
本当に素晴らしいですよね!
>苦しみを知っている人は、人にやさしくなれると信じて歩いていきたいです。
私も、そう感じています。
はなこ様の御活躍、御回復をお祈り申し上げます。
こんにちは
石井瀬奈の母です。
皆様からのあたたかいコメント、ありがとうございました。遅ればせながら、お礼申し上げます。
週末、ここ長野にあるビックハットで、フィギュアスケート全日本選手権が開催されました。
町田樹選手の突然の引退。応援していた町田選手のラストステージを娘と一緒に静かにTVで見ていました。
エデンの東と一緒に舞う町田選手に感動し、余韻を感じていた真っ最中、突然娘が泣きながらチーンと激しく鼻をかみ、私の余韻を見事にぶち壊してくれました。
でもあとになって、そんなエピソードが可笑しくて、ついつい思い出し笑いしていました。
なんでもない日常の中にも、笑っていられることがある。
それが、娘の作文にある、当たり前に過ごせる何気ない日々なのだと思います。
多くの方がこの一文に共感して下さいました。
校舎裏でこっそり泣くほど苦しかった日々。だけどその苦しさから、気づけた日々の幸せもありました。
本当にゆっくりですが、今は娘の回復を実感しています。
高橋先生、ありがとうございました。
そして娘の作文を拝読いただいた皆様にも改めてお礼申し上げます。
2014年もいよいよ終わりです。
よいお年をお迎えください。
A.I様
コメントありがとうございます。
御苦労絶えない日々であったと思います。でも、そこに立ち向かい、対応されたので、健康、そして当たり前に過ごせる時間に幸せを見出せているのかと思います。
本年も、どうぞよろしくお願いします。石井様御家族の益々の御活躍をお祈り申し上げます。
高橋先生
石井さん
願いの先には、希望があります。
命のある限り光があります。
それを気づかせてくれる子ども達に感謝です。
できることを精一杯やることに感謝がもてる日々を送りたいと思います。
せなちゃん、ありがとう!
長野県脳脊髄液減少症の児童を支援する親の会様
コメントありがとうございます。
本当ですよね!
「脳脊髄液減少症は治る病気である!」を実践していきますので、当然皆様には希望を持って頂きたいです。
貴重な機会をありがとうございました!