脳脊髄液減少症や水頭症など脳脊髄液循環障害を専門に診療を行っている高橋浩一の公式サイトです。

非常な困難を乗り越え

非常な困難を乗り越え
私が山王病院に勤務を始めた頃から、定期的に通院頂いているK.Hさん(男性)。

有名国立大学大学院で勉強し、留学が決まり、前途洋洋で希望に満ちていたある日、交通事故に遭われました。

受傷により、視覚障害、聴覚障害、運動障害の他に激しい頭痛、倦怠感などが持続し、勉強を継続する事は不可能になりました。視覚障害は両眼、矯正視力で0.1以下、聴覚障害は補聴器を使用せざるを得ない重い障害です。また杖を使用しないと充分に歩行できない状態です。

さらに損保会社は重篤な視覚障害や聴覚障害が事故後から出現したにも関わらず、「事故との因果関係が認められない」と主張してきました。また、周囲の不理解も、K.Hさんの大きなストレスとなったそうです。

それまでエリート街道を歩んでいたK.Hさんの心中は全く察する事ができません。非常に気が狂うような思いだったのではないでしょうか?

しかしK.Hさんは、脳脊髄液減少症の診断にて私の外来を2年間以上に渡り通院して頂いています。そして7回のブラッドパッチを受け、少しずつ状態が改善していきました。おそらく、通院自体も彼にとっては非常に辛かったと推察します。それでも、向上する自分を夢に描き、診療を継続されました。

先日の外来では珍しくスーツ姿で来院され、笑顔で

「やっと就職内定が決まりました!」

と報告してくれました。

嬉しかった、涙をこらえるのがやっとでした。この日のK.Hさんは、物凄く素敵に写りました。

今まで、視覚障害や聴覚障害、さらに強固な頭痛や倦怠感などの影響で、就職試験で不採用となった事、実に150ヶ所以上だそうです。

障害が重篤のため、門前払いに近いような屈辱も何度も味わったそうです。革靴を履く事ができないために、不採用となった事もあったそうです。

事故前は国立大学の大学院卒業、留学、さらに大きな夢を抱いていたのではないでしょうか?しかし、事故により、これらを実現するのは不可能になりました。そんな状況から地道に努力され、這い上がったK.Hさん、心の底から敬服します。

K.Hさんは、

「自分の病気、怪我の経験を生かし、福祉関係の仕事をします。」

と語ってくれました。

心よりお祝い申し上げ、さらなる活躍をお祈りします。
今後も頑張ってください。

(杉山 清貴 FEN Iを聞きながら)