瑠璃色の地球 (中森明菜バージョン)
- 2009.03.21
- 脳脊髄液減少症

26歳、女性
中学時代に強固な頭痛、めまいなどが出現、持続し不登校となりました。
20歳時、精神神経科で「統合失調症」の診断を受けました。
さらに、某大学病院にて「大鬱病」との診断を受け、大量の抗鬱剤の投与を受けるが効果が乏しかったそうです。その後、自殺企図もありました。
26歳時、本人が脳脊髄液減少症を疑い、山王病院を受診しました。脳槽シンチにて髄液漏出像を認め、ブラッドパッチを施行、その後、頭痛、めまいなど改善しました。
徐々に抗精神薬を減量し、治療から5か月で完全に薬物から離脱でき、精神神経科通院終了となりました。
この女性から頂いた御手紙です。よろしければ以下の音楽をBGMにしてみて下さい。
http://www.youtube.com/watch?v=WoAWxc-WPvs&feature=related
今まで服用していた精神科のお薬をやめ、先々週、今後は通院もしなくてよいと言われました。
一生離れられないかとすら思っていた精神科から卒業でき、本当に信じられない想いです。
お薬をやめてから頭の中や思考がはっきりし現実や現状が把握できるので、今まで以上につらいことや不安が実は大きいのですが、だからといってお薬の必要はまったく感じません。
やっと本来の自分らしさを取り戻せた、と思います。
小さい頃から体調は悪くとも、お庭の草花の手入れをしたり、お菓子を焼いたり、日常を、自分のできる範囲で楽みながら生活してきました。読書や勉強が大好きで、大学もとても楽しく通っていました。
ただ、頭痛、めまい、吐き気… とてもつらいのに、どのお医者さんも異常は無いと言います。体調が悪いからテレビはあまり見ない(興味がないのですが…)、
食欲がない、学校に通えないと言うと、それでは精神的な原因ですねと、口をそろえて言いますから、あぁ、そういうものなのか、私は精神的に弱いのかと、中学生の頃から刷り込みのように思いこんでいました。それでは、「病は気から」、本当に病気になってしまいます。
大学生の時に大学病院で大鬱病と診断され、入院中、点滴で大量の抗鬱剤を投与されました。鬱ではないので効くはずもなく、どんどん量は増やされ、日に日に体も動かなくなり、精神的にも極限の日々でした。そこで耐え切れずにリストカットをしてしまった日から、すべては狂ってしまいました。
ほとんど記憶のない私よりも、家族の方がずっと苦しかったと思います。私自身も、家族も、それまで私がどんな人間だったのかを忘れてしまうほど、過酷な数年間でした。
それが、ブラッドパッチを受け、お薬をやめ、すると少しずつ、それでもとても自然に、お花を生けたり、趣味の手作りを再開したり、昔から興味を持っていたものに興味を抱けるようになりました。
やっと、自分を取り戻せた気がします。
もちろんつらいことは山ほどありますし、今までできていなかったことの膨大さを目の当たりにして気が遠くなってしまいそうにもなります。
それでも、できることからやらなければ現状は変わりはしないと、前向きさだけは失わずに頑張っています。
今まで体調が思うようにいかないせいで諦めなければならないことが多すぎましたから、今は多少回り道でも順序を追って、一歩ずつ歩んでゆこうと思っています。
今でこそ、私も「驚異的な回復を!」と思えますが、それは私の体調を理解してくれた高橋先生にめぐり会えたからこそです。
治りたい一心で行く先の、何人もの病院の先生から「あなたは心が脆弱なのだ」「普通の人とは違うんだ」「一生治ることはない」と言われ続けると、本当はそうなのではと思ってしまいます。それでは、治るものも治りませんよね。
プラス思考になれた今、高橋先生のおっしゃるマイナス思考の意味もよくわかります。
もう、過去はいいのです。これから今まで身につけられなかった知識や経験・実績を何が何でも身につけて、なりたい私を作っていきます。
Webデザインをを本格的に勉強したいので、来週、学校の体験授業に参加してきます!!
まだまだ体調は不安定ですし、もともと気持ちも太くはないので、今後もつらいと感じることはたくさんあると思いますが、体調の不安は先生に診ていただけることで安心できますから、あとは自分が成長するだけだと思っています。
毎回山王病院の帰りは心が軽いので、今までの病院では考えられないくらいに通院が楽しいです。
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