不毛地帯
- 2009.10.17
- 脳脊髄液減少症
「不毛地帯」山崎豊子原作
先日、ドラマ化され放映されました。
11年に及ぶロシアで捕虜としての重労働を課せられた生活、想像を絶する厳しさがあったと思います。
捕虜生活とは別の次元ですが、10年以上の長期に渡り、脳脊髄液減少症を患われていた方々もいます。
その中の一人C.Sさん(60代、女性)
十数年前に交通事故に遭い、その後から頭痛、倦怠感などの症状でほとんど寝たきり状態になりました。
地元の病院では、体調不良の原因が精神的なもの、もしくは不明とされ、9年の時が過ぎました。
事故から9年経った時に山王病院を受診、脳脊髄液減少症の診断を受け、ブラッドパッチを数回受け、歩けるまでに状態が快復しました。歩行可能になったのは、寝たきり状態になってから10年を超えての事です。
C.Sさんが素晴らしいのは、他に交通事故後遺症に悩む方々に対して、自分の経験を通じて励まして頂いている事です。
C.Sさん自身、いまだに諸症状に悩んでいますが、労を惜しまず、10年間を克服した貴重な経験により脳脊髄液減少症の方々などを勇気付けてくれます。
決して、「辛い」「しんどい」で終わらず、希望を持てるように励まして頂きます。
私が把握している限りで、脳脊髄液減少症に悩み、生きている事自体がぎりぎりの状態から、元気を頂いて快復された方々が数人います。
C.Sさんの活動自体に、激励された想いを抱いた方々も少なくありません。
逆に、C.Sさん自身も体調を崩される事もあります。そんな時にはC.Sさんが励ましてきた方々に励まされ、元気をもらうそうです。
車椅子での生活が主である体調ながら、脳脊髄液減少症に悩む方々のために頑張って頂き、さらに自分の仕事についても考えられているC.Sさん、敬服させて頂くとともに、益々の御活躍、御快復をお祈り申し上げます。
高橋浩一 先生
「不毛地帯」拝見させていただきました。
もう三十年以上前になりますが、真冬のシベリア鉄道全線(約1万キロ)に乗る機会がありました。
あの番組のロケは、ニュージーランドで行われたそうで、シベリア鉄道沿線とは、ちょっと植生が違うようにも感じましたが、それでも、いろいろ思い出しました。
「素手で、屋外の金損を触ってはいけない」「メタルフレームの眼鏡は適切でない」など、考えられないようなことを言われた「寒さ」を思い出しました。
そういえば、外に出たとたんに、寒さのせいで、鈍い頭痛になった覚えがあります。
ここで「ダモイ」(「家へ」を表すロシア語)を懇願しながら亡くなっていった抑留者の方の思いを考えると、当時甘っちょろい大学生だった私でも、目頭が熱くなったのを覚えています。
山崎豊子氏の小説は、綿密な取材に基づいていることは有名ですが、その根底には「平和を求める強い心」があるのだと思います。
次回からも楽しみに見させていただきます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
冬のシベリア、想像するだけで全身が凍りそうです。そんな中、見えない未来にもかかわらず、生きて歴史の証人になれ!という思いで、抑留生活を送られた方々、想像できません。
冬のシベリア鉄道の御経験は、非常に貴重なものであると思います。