英国医学の効能
- 2013.11.12
- 日々のつれづれ
ある歴史を中心に学識の高い方が、幕末から明治維新の頃の事を、医療の観点からお話頂きました。
幕末の戊辰戦争、薩長を中心とする軍が勝利したのは、
- 西洋の武器を大量に輸入していた。
- 薩摩藩、長州藩は、薩英戦争、下関戦争など他国との戦を経験していた。
といった要素が挙げられているが、他にも大きな要因が考えられるそうです。
それは医療です。
戦では、兵士が傷つき、戦えなくなると、他の4人の兵士が、傷ついた兵士を後方に運んで手当したそうです。
つまり1人の兵士が傷つくと、介護する兵を含め、5人が一度は戦場から離れなくてはいけませんでした。
それに対し薩摩軍は、留学によりイギリス医学を学び、傷ついた兵士に対し、軍医が対応し、手当てをしたそうえす。
なので兵士が傷ついたとしても、他の兵士が手当をする必要がなく、攻撃に専念していく事が可能になりました。
一方、幕府軍は従来通りの傷ついた兵士に対し、他の兵士が手当をする戦い方であったそうです。
こういった医療が戦に与えた影響も、戊辰戦争では大きく、英国医学を継承する慈恵の医療により明治維新は達成できたと言っても過言でないと述べられました。
さらに脚気治療
と合わせ、慈恵の医療が、我が日本に与えた影響は大きいと!
話は飛躍的かもしれませんが、慈恵卒の人間として、この話しを嬉しく感じました。
鹿児島の町を歩いていると、高木兼寛先生の銅像を見かけました。
何とも言えない感動につつまれ、ただ、偉大な先生の銅像には触る事ができませんでした。
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高橋浩一 先生
>つまり1人の兵士が傷つくと、介護する兵を含め、5人が一度は戦場から離れなくてはいけませんでした。
これは、まさに「地雷」の論理ですよね。介護をさせるために、わざと殺傷力は最大にはせずに、生き残らせる…何と悲惨なことでしょう!
医学は、ガーゼ、カルテなどの言葉から見てもわかるように、「ドイツ一辺倒」の感がありますが、やはり「病をみずして、人をみよ」の精神が不可欠なのだと思います。
高木博士は、日本で一番最初に医学博士号を取得しただけの価値はあるとおもいます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
悲惨な戦争は繰り返してはいけません。ただ、戦争から進歩した医学もあります。イギリス医学は、怪我した兵士を治療するといった形で発展したように思います。
ノーベル賞受賞者を多数出してきたドイツ、研究は素晴らしいと思いますが、基礎研究から、毒ガス、ダイナマイトに転じたような・・・
尊敬する宮田親平さんの作品
http://www.amazon.co.jp/%E6%AF%92%E3%82%AC%E3%82%B9%E9%96%8B%E7%99%BA%E3%81%AE%E7%88%B6%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%BC-%E6%84%9B%E5%9B%BD%E5%BF%83%E3%82%92%E8%A3%8F%E5%88%87%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85-%E6%9C%9D%E6%97%A5%E9%81%B8%E6%9B%B8-834-%E5%AE%AE%E7%94%B0/dp/4022599340/ref=sr_1_2?ie=UTF8&qid=1384860782&sr=8-2&keywords=%E5%AE%AE%E7%94%B0%E8%A6%AA%E5%B9%B3
高橋浩一 先生
もちろん「殺人」をかさねれば勲章が授与される「戦争」を、絶対に容認するわけにはいきません。
しかし、原子力もインターネットも、もともとは、「敵を倒すため」に考案されたものです。
われわれが常用している「ホチキス」だって、もとは,第一次世界大戦時の機関銃を製作した会社が、その原理を文房具に転用したものです。
人類にとって、最も忌み嫌うべき「戦争」という行為が、最も科学を進歩させるという絶対的矛盾を無視することはできないと思います。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
戦争により、化学も発展してきた歴史もあります。
医学も、そうです。発展のためには犠牲が必要とはいえ、戦争をしない努力を続けつつ、学問も発展できれば良いと思います。
高橋浩一 先生
大学東校(現在の東大医学部)で、福沢諭吉らの反対を押し切ってまでして、ドイツ医学を採用することが決まりました。
その後、東校を追われるようにして鹿児島医学校に赴任したイギリス人W.ウィリスに高木博士は教わることになるのだから、イギリス医学の継承者になるべき運命を、最初から持ち合わせていたのですね。宮崎生まれという出生もふくめて。
ウィリス・福沢・高木氏のつながりも面白そうですね。本を探してよんでみることにします。
http://www.jsec.or.jp/book/pdf/076kikanshi_zuisou02.pdf
F様
コメントありがとうございます。
ウィリスは、ドイツ医学採用が決まっても、よく鹿児島に赴任され、高木先生などに医学を教えて頂けたと思います。
白い航跡、改めて面白いです。