学習公開日 2009.05.16 日々のつれづれ 先日、長女と次男が通う小学校へ、いわゆる授業参観に行ってきました。 子ども達の学校生活での一面を見られるので、学習公開日には必ず参加するようにしています。 授業のみならず、子ども達が書いた、作った、作品を眺めるのも一つの楽しみです。 前の記事 5月12日 2009.05.12 次の記事 夕べのコンサート 2009.05.16
高橋浩一 先生
学校教育に関心をお持ちいただき、同業の者として感謝いたします。画像を拡大して見せていただきました。一枚の絵からも、担任の先生のきめ細やかな指導が児童の皆さんに浸透している様子が、充分読み取れます。
最近、巷では、「学校教育不要論」なども真顔で論議されています。たしかに、受験ということだけ考えたら、塾の「これだけ解ければ合格できる!」という指導は、合理的だし、子どもにとっても、わかりやすいでしょう。
しかし、学校教育は、「受験合格」というような目先の利益のためにあるのではなく、教育基本法にもあるとおり「たゆまぬ努力によって築いてきた民主的で文化的な国家をさらに発展させるために、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである」のです。
そこに、教科の学習は言うに及ばす、学校行事など全ての学校生活の存在意義があります。教科の学習に関しても、単なる「HOW TO」の獲得に陥らないようにすべきと考えて、日々職務に当たっています。生徒たちにも、「テストに出るから大切、とかそういう低い次元で言っているのではなく、これからのあなたたちがどう生きていくか、にとって大切なんだよ。」と言い聞かせています。
学校教育が、わかりやすさだけを求めてしまったら、「柔らかいものしか食べられない貧弱なあご」の人間だらけになってしまうと思います。
保護者の皆様にも、そのように理解していただければ幸いです。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
以前、教師を志したことがある私は、教育に関して、もちろん関心があります。
御指摘の通り、子ども達がどのように生きていくのか!が重要と思います。しかし、小さな子ども達のうちで、これを理解できる方は希少と思います。
少なくとも私の子ども達に対しては、基本的に自由に、自分で考えた通りに行動させ、時に失敗、うまくいかず怒られる事も大切と思っています。
自らが望まず、勉強を強要されるのはマイナスと思っています。むしろ、思いっきり遊び、運動し、子どもの頃から、勉強以外の多くの事に真剣に接するのが重要と考えています。
この点に関して、様々な意見があることでしょう。時に自分自身、この教育方針で正しいのか?と思う事もありますが、私自身の人生に鑑みて、現段階では自分の子ども達には、「基本的に自由」を実践しています。
高橋浩一 先生
さっそくのお返事ありがとうございます。
「どのように生きていくのか」を頭で理解するのではなく、「習慣化する」というか、身にしみこませることは、小さい子だからこそ、大切なのだと思います。
例えば、「カルテ」は、「紙」を意味するドイツ語ですが、日本では、紙一般を指すのではなく、「医師の診療記録用紙」という意味でのみ、限定的に用いられます。
「勉強」「学習」も、そのように限定的に使われることが多いですが、私は「勉強」や「学習」を、「カルテ」本来の意味と同様、もう少し広くとらえています。
そこに、自分の職業感もあります。もし、目先の読み書きだけを教えるのが教師の仕事だとしたら、空しいものがあります。笑
私の考えでは、「遊び」はもっとも重要な「勉強」であり「学習」です。「自由」を上手く使いこなせること、これが人類の発展にとって最も大切なことと思うからです。
「自由」とは、「何もしないこと」ではなく、「自分のために懸命に打ち込めること」なのだと思います。そのために、親をはじめとする大人の存在価値=よい手本が必要だと考えています。
少し前は、「異年齢集団と上手く遊べない子」がずいぶんマスメディアなどで取り上げられました。しかし、今、教育現場では、「異年齢(大人も含む)とだったら上手く遊べるが、同年代の子たちと上手く遊べないない子」が大きな問題になっています。このことは、やがて、「社会秩序の維持」にとって大問題になるでしょう。
高橋先生のように、「子どもに、意図的に自由にさせる」ことは、とても大切だと思います。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
人間、特に子どもは自分の興味のある事には力を出しますが、興味の無い事を無理にさせようとすると、逆効果となる事があると思います。
私自身も、親に押し付けられたような感じの分野は、極端に苦手になりました。
勉強も大切ですが、社会勉強、人との付き合い方も非常に重要と思います。
「自由の裏に責任あり!」、私の好きな言葉の一つです。
子ども達にも、このような事、そして同時に人との付き合いの大切さを伝えているつもりです。