だいだい色の車両
- 2010.11.07
- 日々のつれづれ

JR中央線の象徴、だいだい色の車両がなくなりました。
中央線に関して、私の親友、廣野すぐり氏が昨年、「中央線沿線物語 だいだい色の箱」を出版され、鉄道ファンを中心に好評です。
その廣野すぐり氏から、だいだい色の車両についての熱い想いをメッセージとして頂きましたので、紹介させて頂きます。
http://blog.goo.ne.jp/mocomocomocotan
10月17日の日曜日、JR中央線からだいだい色の車両がなくなり、テレビのニュースや新聞などでたくさん取り上げられました。
形式こそ何度か変わりましたが、中央線は昭和32年からずっと、だいだい色一色だけの車両でした。東京西部の住宅地からまっすぐ東へ、新宿を通って東京駅まで走る中央線は、たくさんの人が利用する通勤電車です。そんな、生活に大きく密着している電車の、トレードマークになっている「だいだい色」がなくなってしまうということで、多くの人の関心を呼んだのでしょう。
でも考えてみると、ちょっと不思議な感じがしないでもありません。同じようになくなるときに話題になった、新幹線の0系や東京発のブルートレインなら騒がれるのもよく分かります。こどもたちの憧れの列車で、言ってみれば鉄道界のスターのようなものだったからです。でも中央線は、通勤ラッシュというとまず名前のあがる、いつも混み合う路線なのです。事故や故障で止まることでも有名で、いいイメージを持たれていませんでした。
それが今回、JRがキャンペーンを打ち出し、キオスクでグッズが売られ、メディアでも取り上げられました。もしかしたら年末の10大ニュースでも出てくるかもしれません。
今まで沿線に住み、中央線とその利用者をずっと見てきただけに、なんとも不思議に思うのです。
今回なくなるのは、昭和54年から導入された201系という車両です。かれこれ30年ほど使用されていたことになります。
私はその201系を初めて見たときのことを、今も鮮明に覚えています。
親に連れられて都内に向かうときのことです。立川駅で待っていると、運転席の周りが黒くなっている電車が来ました。そのとき、「なんだろう、作りかけの電車を走らせてるのかな?」と思ったのを覚えています。当時は、ドアが閉まらなくてロープを張って走っている電車など、ちょっと故障している電車も時おり走らせていたのです。でも電車に乗ると、内装がきれいで、ところどころ今までの車両と違っていました。それで、新型車両なのだということに気が付きました。
それ以降201系が増えていき、数年後には主流の車両になります。
おそらくその時代、201系がなくなるときにこれほどの騒ぎになることを予見していた人は、いなかったと思います。
ただの通勤電車である中央線で、新幹線並みの騒ぎが起きることに、時代が変わったなぁと感じます。
201系が導入された当時は、豪華なものほど注目を集める時代でした。車はスポーツタイプのものがたくさんあり、若者はアルバイト代を全額つぎ込んでも欲しがりました。鉄道の人気者はL特急や寝台列車で、夕方の東京駅にはカメラを持った少年がホームを駆け回っていました。野球は、テレビで映る巨人が主流でした。ラーメン屋や今で言うB級グルメの店に、付き合ったばかりの彼女を連れて行く男もいませんでしたし、自販機のジュースは金を出して飲み物を手に入れるという感覚があったからか、甘かったり炭酸だったり、強烈な味付けのものばかりでした。
しかし時代は変わります。豪華なもの、華やかなものが、それほど注目を集めなくなっていきました。車離れが起こり、ローカル線や小さな旅が今の鉄道ブームの柱になっています。野球は平均してファンが付いていて、テレビで取り上げられないスポーツをサポートする人も大勢います。B級グルメ全盛で、自販機にはお茶が並んでいます。
おとなしくなってしまった、ともいえますが、よく言えば虚勢を張らなくなった、自然体ですごすようになったということです。
今回中央線が注目を集めたのも、こんな時代の流れが影響しているのかなぁ、と思います。
今、中央線の車両は、シルバーの車体にだいだい色のラインというものになってしまいました。どうしても違和感を持ってしまいます。それだけ中央線沿線のさまざまな場所で、だいだい色は溶け込んでいたのです。東京駅の赤レンガで、外堀沿いで、新宿大ガードで、中野サンプラザで、黄色い総武線との並行で、国立の駅舎で、多摩川の鉄橋で、だいだい色の電車は、まるでパズルのピースのように景色にしっかり組み込まれていました。
だいだい色一色だった中央線には、人それぞれの「当時」が乗っていました。若かった頃、働き盛りだった頃、自分や家族が元気だった頃……。だいだい色は、ちょっと大げさに言うと、一つの時代だったのです。
廣野すぐり
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高橋浩一 先生
私にとっても、新幹線の0系より、あのお堀を走るだいだい色の電車の方が「百万倍」思い入れがあります。
思えば、夏に高橋先生とご一緒したときが、「だいだい色の見納め」でした。
新幹線が、「あこがれ非日常」の代表とすれば、中央線のだいだい色の電車は、「日常そのもの」なのです。
私などは、とても文章には出来ない目から火が出るようなはずかしい思い出も、車中にたくさんあります。
校歌のお話が何回か続いていましたが、私の場合、校歌と「だいだい色の電車」も密接に結びついております。
「だいだい色の電車」がなくなるのは、統廃合で自分の卒業した小学校がなくなるのと同じような気持ちなのかな、と思います。
「不易と流行」という言葉があります。「だいだい色の電車」は、流行のように見えて、実は、不易なのかもしれません。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
>「だいだい色の電車」がなくなるのは、統廃合で自分の卒業した小学校がなくなるのと同じような気持ちなのかな、と思います。
すごく分かりやすい表現ですね。無常が伝わってきます。
すぐり氏の著書には、あきちゃんで~す様が経験された事が書かれているかもしれません。