福岡にて 2010.10.30 日々のつれづれ 福岡の滞在は、初めてです。 学会場から船にのって、志賀島に行ってきました。金印が発見された場所として、歴史的に有名です。 限界島と、福岡の街 金印の発見された金印公園 綺麗な海に、潮の香り 綺麗な山 自然に触れ、気持ちが和みました。 前の記事 日本脳神経外科学会 2010.10.30 次の記事 ドーム 2010.10.31
「運命の糸」
高橋浩一 先生
金印のレプリカはお求めになりましたか?
なかなか、どこにでもあるという代物でもないですから…。
ところで、「金印は、百姓が発見した。」と歴史の授業で必ずやりますが、私は、子どもの頃から、そのことに疑問を持っていました。
「確かに、百姓が見つけたことは、見つけだだろう。でも、百姓に金印の価値がわかったのだろうか? 第一、字が読めたのだろうか?」と。
想像は当たっていました!
金印の価値を確定したのは、亀井南冥(かめい なんめい)という福岡藩の藩医です。亀井は甘棠館(かんとうかん)という藩校の学長もしていました。
あれ?福岡の藩校とえば、修猷館(しゅうゆうかん)が有名です。今でも、名門公立高校として、その名を全国にとととどろかせています。
もう一つの藩校が甘棠館だったのです。なぜ、甘棠館は、のこらなかったか?
「寛政異学の禁」で取りつぶされたのです。
国が、権威で科学を握りつぶす姿が、もう、ここに現れています。その後の諸事を待つまでもなく、まさに「歴史は繰り返す」という思いです。
そして、その金印に惹かれるように当地を訪問された高橋先生にも、何か、運命の糸のようなものを感じます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
金印の話が、そこまで奥深いものであったとは、全く存じませんでした。知らずに、金印の地を訪ねました。
もう少し早くこの話を知っていいたら・・・
金印のレプリカ・・・・・先輩の購入されたものを眺めていました。
高橋浩一 先生
日本最初の蘭和辞典『ハルマ和解』を著した蘭学者の稲村三伯は、亀井南冥の弟子でした。
「幕府から目をつけられるような」学問を学んでいた人の中にも、後世になってみれば、こんなに科学的に価値の高い業績を残された方がいるのです。
当時の「藩医」の方々は、情報もない中、本当に身を削るような研究をされ、われわれに数々の業績を残されています。
現在の厚労省研究班をはじめとする医師の方々にも、後世に残るような業績を期待したら、それは、「期待しすぎ」なのでしょうか…
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
本当に、知識の豊富さに驚きです。
ガリレオ・ガリレイなども、当時としては画期的な発見が認められませんでした。科学の歴史は、そのようなものの繰り返しかもしれません。
脳脊髄液減少症に関しては、大きな事を狙わず、こつこつと確実に認知度を上昇させていく事を考えています。
高橋浩一 先生
我が郷土の偉人「四千万歩の男」伊能忠敬はご存じたと思います。
昭和の初期まで海軍で通用するような地図を、19世紀初めに作った人です。
ペリーも、その写しをもって「日本遠征」に来た伝えられてきます。
それもこれも、忠敬の「はじめの一歩!」からスタートしていることを忘れてはいけないと思います
(余談ですが、ペリー「来航」などと呼んでいるのは、日本だけです。
当時のアメリカの新聞にも expedition 「遠征」とはっきり書いてあります。
事実、その帰途、沖縄は、強制的に「測量」されました。
大体、太平洋艦隊の司令官が、制服で艦隊を組んで、日本に「親善」や「観光」に来るはずもなく…日本の海防の甘さは、今に始まったことではありません。)
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
本当に知識の豊富さに敬服します。
地図といえば、過去にロシアに捕らわれても、絶対に日本の地図を渡さなかったという方がいたと記憶していますが、御存知でしょうか?
高橋浩一 先生
どの事件のことを指していらっしゃるか、定かではないのですが、
ロシアは、「南下政策」をずっと国策として(現在でも)持っているので、
日本沿海の地図は、「のどから手が得るほど」ほしいものでした。
したがって、基本的には、漂流民すべてに助命と引き換えに、地図を渡すよう
要求しています。
もちろん、地図を渡すことは「国禁」ですから、基本的には、しません。
伝兵衛も光太夫(ともに商人)もそういう要求をれていますし、間宮林蔵などは、
地図の密輸を防いだ(実は、シーボルトを見張る隠密だった)人物として有名です。
お答えになっていなくてすみません。
http://homepage2.nifty.com/deracine/wakamiya/wakamiyamaru01.htm
なども、割と有名です。
高木兼寛博士の伝記「白い航跡」の吉村昭氏が、こんな本も書いています。
http://www.shinchosha.co.jp/book/610002/
日本で始めて世界一周を成し遂げた漂流民たちの葛藤をえがいています。お勧めです!
高橋浩一 先生
http://www.pref.hokkaido.lg.jp/sm/hrt/hp/kahei.htm
のことをおっしゃっているのかもしれません。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
様々な情報、重ねて御礼申し上げます。
私が読んだのは、シーボルト関係だったと思います。
でも江戸時代にはロシアを中心に、御指摘頂いた点など、いくつも存在したのでしょうね!興味深いです。
高橋浩一 先生
それならば、この地図です。「伊能」図がもとになっています。
http://www.hh.em-net.ne.jp/~harry/page_thumb51.html
なぜならば、伊能忠敬の師が高橋景保といって、間宮林蔵の「政敵」だったのです。
伊能忠敬の業績が高く評価されればされるほど、シーボルトを捕らえた「間宮スパイ説」も、クローズアップされます。
しかし、高橋と間宮の間にあった論争は、そんな政治的なことではなく、もっと学問的で純粋に地理学・天文学的なものであった…と信じたいです。
そうでなければ、高木岬とならんで、世界地図に名を残している
「間宮海峡」が泣きます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
よく見つけましたね!頭が下がります。
本当に学問的要素が強かったと信じたいです!
高橋浩一 先生
一昔前ならいざ知らず、この情報化時代ですから、あの地図を探すのには、ものの30秒もあれば足りましたよ。笑
「科学的な論争」に、「下世話な話」を混ぜるのは、勘弁してほしいですね。いつの世でも。
高橋浩一 先生
このくらい見つけるのは、紙ベースの時代ならいざ知らず、この情報化の時代に、造作もないことです。ものの30秒モあれば、十分ですよ。
これからも何かございましたら、お申し付け下さい。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
>ものの30秒モあれば、十分ですよ。
恐れ入りました!今後とも御指導よろしくお願い申し上げます。
高橋浩一 先生
「福岡」から離れてしまうのですが、ネット上の情報管理について、大きな社会問題が起きています。
「漏らしてしまう。」のは、もちろん「問題あり」ですが、そのような情報に「接することが出来ない」人がいることのほうが、もっと問題だと思います。
「デジタルデバイド」をなくし、「情報弱者」をつくらないようにする取り組みが国をあげて必要だと思います。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/it/dd.html
「伊能図」のことだったから良いようなものの、もし国民に必要な情報のことだったら…
「脳脊髄液減少症」の周知についても、少なからず「デジタルデバイド」的な要素が見られ、残念です。