日本医家伝
- 2009.10.21
- 日々のつれづれ

知人から紹介頂いた「日本医家伝」
(吉村 昭著、講談社)
江戸から明治期にかけての近代医学の先駆者、12人の生涯を描いた著書です。
本著書を拝読し、この12人の中には大きく3タイプあるのではと感じました。
1. 初めて、もしくは新たな概念の事を行おうとした時に、猛烈なバシングを受けながらも、医学のため国のため、人のため、私心なく達成された先生。
日本で初めて腑分け(解剖)を行った山脇東洋、脚気の病態が栄養障害であると唱えた東京慈恵会医科大学学祖、高木兼寛先生など、新たな試みの際には医学関係のみでなく、様々な分野から障害を突きつけられます。しかし高いハードルを越え自身の強い志をつきとうされます。
2. ちょっとした技術を導入しながら、私利私欲が強く、あくまで自分のものとして、大きくその技術を教育、伝承しない。
日本で初めて種痘に成功した中川五郎治。シベリア抑留中に入手した医学書から種痘法を学び、日本で広く種痘が行われる25年前から、種痘を確立していたそうです。しかし、この方法を自分の生活の重要なものと考え、金をもらえば種痘法は教えるが、肝心の痘苗は決して譲らなかったそうです。
3. 貧窮、屈辱などをばねに医学を志す。
日本で初めての女医、荻野ぎんの生涯はまさに、波乱万丈です。
他に、「解体新書」という有名な本があります。歴史では杉田玄白作とされていますが、主に和訳など作成に携わった人は前野良沢です。杉田玄白は、名誉、名声を得たいという野心が強かったようで、「解体新書」事業に参加した人から前野良沢の名前がはずされます。そして最終的に、「解体新書」の訳者は杉田玄白ただ一人という事になったそうです。
現在、日本に多くの医師がいます。「日本医家伝」を拝読し、現在に通じるものがあるとうっすらと感じています。
1.のタイプの医師として真っ先に頭に浮かぶのは、篠永正道先生です。
歴史は繰り返す。今は反対意見が多くとも、近い将来に脳脊髄液減少症が広く認められる事を改めて望み、その時期の到来のために頑張る思いを強めました。
篠永先生については、NHKの「その時歴史は動いた」で緒方洪庵が紹介されたときに、「篠永先生は緒方洪庵のような方だ」との感想が患者様のブログなどで交わされていました。
先生方のご尽力がかなう日はイコール、いったい何万人いるかわからない、この後遺症の患者がいわれなき偏見から解放される日です。近い将来が極く近い将来、遅くとも数年以内になるよう願っています。
やまむろ様
コメントありがとうございます。
相当なバッシングを受けても病に悩む方々に打ち込む篠永先生の姿勢は、尊敬を通り越します。
脳脊髄液減少症が広く認められると、日本だけでなく世界に目を向けると、相当な数の方々が救われます。
私も微力ですが、頑張ります。
高橋 浩一先生
先生も1.のタイプの先生だと
妹も私も思っています。
医学会での先生方の頑張りが
今の患者だけでなく後世の
患者にとってもかけがえのない
ものになると信じて疑いません。
いかなる批判があろうとも
先生方の後ろには、多くの
患者の感謝の気持ちがありますので
これからも頑張ってください。
さきひおあかねまま様
コメントありがとうございます。
私等は、篠永先生の頑張りに比べれば、屁の突っ張りにもなりませんが、このようなコメントを賜り、嬉しく思います。今後の支えにもつながります。
高橋浩一 先生
「日本医家伝」を読んでくださったのですね。ありがとうございます。
吉村昭著「白い航跡」(高木兼寛氏の伝記)を高橋先生にご紹介いただき、氏の「冬の鷹」(前野良沢)「長英逃亡」(もちろん、髙野長英)などを読んでいた私は、何か他にも、医師について書いているかも、とおもって探していたら、ぶち当たった作品でした。
吉村昭氏は、他にもまだまだたくさんの医師の伝記をかいていますが、
氏が病床にあった(膵臓癌)からだということも、どうぞ高橋先生には、見逃さないでいただきたいと思います。
患者が医師に寄せる「期待」というか、一種の気迫が彼の作品にはみなぎっているのだと感じます。
それは、とりもなおさず、われわれが「脳脊髄液減少症」を取り巻く医師の方々に寄せる期待でもあります。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。そして、良書を紹介頂きまして、重ねて御礼申し上げます。
高木兼寛先生だけでなく、医学の先駆者の大先輩達の生き方を拝読するにあたり、現在の医学に通じる点が多々あり、勉強になりました。
同時に自分の甘さを、自分の置かれている環境が非常に恵まれている事を再認した想いです。
私も高橋先生はまさに1.の先生であると思います。
今現在、減少症と戦っている患者、過去に減少症を経験した患者、そしてこれから減少症で苦しむことになる人々にとって今こうして頑張ってくださっている高橋先生の存在がどんなに心強いことか・・・。
まだ広く認められない社会でどんな逆風に会おうとも頑張ってくださっている高橋先生を私たち患者は応援しております。
土屋様
コメントありがとうございます。
私は、医学の分野では「ひよこ」のような存在ですが、どこの病院にいっても治せない、理解が得られないという脳脊髄液減少症の方々のお力に少しでもなれる事が、活力になっています。
もちろん、今後も頑張りますので、頑張ってください!