脳脊髄液減少症や水頭症など脳脊髄液循環障害を専門に診療を行っている高橋浩一の公式サイトです。

日本医家伝

日本医家伝

知人から紹介頂いた「日本医家伝」
(吉村 昭著、講談社)

江戸から明治期にかけての近代医学の先駆者、12人の生涯を描いた著書です。

本著書を拝読し、この12人の中には大きく3タイプあるのではと感じました。

1. 初めて、もしくは新たな概念の事を行おうとした時に、猛烈なバシングを受けながらも、医学のため国のため、人のため、私心なく達成された先生。

日本で初めて腑分け(解剖)を行った山脇東洋、脚気の病態が栄養障害であると唱えた東京慈恵会医科大学学祖、高木兼寛先生など、新たな試みの際には医学関係のみでなく、様々な分野から障害を突きつけられます。しかし高いハードルを越え自身の強い志をつきとうされます。

2. ちょっとした技術を導入しながら、私利私欲が強く、あくまで自分のものとして、大きくその技術を教育、伝承しない。

日本で初めて種痘に成功した中川五郎治。シベリア抑留中に入手した医学書から種痘法を学び、日本で広く種痘が行われる25年前から、種痘を確立していたそうです。しかし、この方法を自分の生活の重要なものと考え、金をもらえば種痘法は教えるが、肝心の痘苗は決して譲らなかったそうです。

3. 貧窮、屈辱などをばねに医学を志す。

日本で初めての女医、荻野ぎんの生涯はまさに、波乱万丈です。

他に、「解体新書」という有名な本があります。歴史では杉田玄白作とされていますが、主に和訳など作成に携わった人は前野良沢です。杉田玄白は、名誉、名声を得たいという野心が強かったようで、「解体新書」事業に参加した人から前野良沢の名前がはずされます。そして最終的に、「解体新書」の訳者は杉田玄白ただ一人という事になったそうです。


現在、日本に多くの医師がいます。「日本医家伝」を拝読し、現在に通じるものがあるとうっすらと感じています。

1.のタイプの医師として真っ先に頭に浮かぶのは、篠永正道先生です。

歴史は繰り返す。今は反対意見が多くとも、近い将来に脳脊髄液減少症が広く認められる事を改めて望み、その時期の到来のために頑張る思いを強めました。