お知らせ -復旧しました- 2009.07.15 日々のつれづれ 昨日より不具合のあったホームページですが、復旧完了しました。 大変御迷惑をおかけしました。 今後とも、本ホームページをよろしくお願いします。 前の記事 お詫び 2009.07.14 次の記事 ボクシング 2009.07.15
高橋浩一先生
お手数をおかけいたしました。
今日から、授業で「日露戦争」をやります。
予定より少し早いし、夏休み前の区切りでもあるので、「日本海大海戦」の映画を見せようと思っています。
その際、陸軍と海軍の戦況についても話します。
今年の授業では、高木兼寛博士についても、話すつもりです。
お知らせまで。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
「日露戦争」。小学生の時に初めて耳にした言葉ですが、勉強すればするほど、奥深く感じます。
高木兼寛先生がいなければ、海軍でも脚気の流行がとまらず、「日本海大海戦」「日露戦争」はどうなっていたかわかりません。
日本を救った医師と言っても過言でないと思います。
高橋浩一 先生
高橋先生ならカラクリが解る、面白いことがありますよ。
陸軍の乃木希典は、長州出身でドイツ留学、
海軍の東郷平八郎は、薩摩出身で、イギリス留学…ほらね。
高木先生の周りでは、見えない「運命の糸」がすでに動いていたのです。
ちなみに、乃木希典は、長州の支藩の出ですが、その江戸屋敷が彼の出生地で、今の「六本木ヒルズ」がある場所です。
乃木大将が六本木ヒルズを見たら、何と言うでしょう…
それに、乃木大将と高木先生は、同い年。
一方、東郷も高木先生も戊辰戦争に参加していますから、同じ藩どうし、どこかで会っているかもしれない…
なんだか、歴史って、知れば知る程ワクワクしますよね。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
山王病院への通勤では、乃木神社を通ります。150年ほど前からある乃木邸が残っています。
そのためもあって、司馬遼太郎「殉死」、福田和也「乃木希典」を読みました。
江戸時代の藩制度から明治への歴史を考えると、御指摘の点、決して偶然でなく必然ですね!本当に知れば知るほどワクワクします。
高橋浩一先生
乃木希典の「薩摩の女しか嫁にしない。」という言葉は、結構有名ですね。
みんなが、こんな感じなら、「イギリスかドイツか」とか「栄養か細菌か」なんていう議論も起こらなかっただろうに…
と思って。静子夫人の出生を調べてみました…
なんと、静子夫人は、薩摩藩奥医師の湯地定之四女なのですね。
つまり、湯地氏は、高木兼寛先生の「上司」に当たります。
また、乃木は、西南戦争で軍旗を奪われたことを、「生涯の恥」としていたわけですから、本当に、薩摩との因縁が深い人でした。
私は、特定の宗教を信じる者ではないですが、「人との因縁」は、職業柄もあり、強く感じます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
乃木希典の「薩摩の女しか嫁にしない。」は、こうでも言えば、嫁をもらわなくてすむだろう!という意思があったのではとの推測があります。
司馬遼太郎さんの小説では、愚将扱いされがちですが、明治天皇からの信頼は相当なものだったようですから、真実はどうなのでしょうか?と考えてしまいます。
静子婦人のお父様が高木先生の上司という事は存じませんでした。本当に歴史というのは奥が深いと、楽しませて頂いています。貴重な情報、ありがとうございました。
高橋浩一 先生
「乃木希典」愚将説は、司馬遼太郎氏の作品に依るところが大きいですね。
森林太郎(鴎外)の「脚気細菌説」もそうですが、その道の「プロによる名文」は、時に、人心をも惑わせますから…
乃木神社はお近くですよね。社の刊行物にこんなのがあります。
http://www.nogijinja.or.jp/books/main.html
500円で、十分楽しめると思いますよ。
また、乃木希典は、少年の頃、松下村塾で学びますが、
松下村塾を開いた玉木文之進(みんな、松下村塾をひらいたのは、吉田松陰と思っていますが、それは間違い)に、子どもがなく、甥の松陰は、処罰され…
乃木希典の実兄正誼が、分家である玉木家に養子に入って松下村塾を継いでいます。
もちろん、乃木希典の父の希次も安政の大獄で処罰(免職)されています。
そして、玉木家は、「萩の乱」で滅ぶ。そこに、乃木も東郷平八郎も参戦しています。
戦国時代なら、珍しくないですが、近代国家たる明治時代に、実兄とその養父を敵に回して闘ったわけです。
当然、乃木は精神的にも不安定?になり、暴力・放蕩生活をするようになる…それが止んだのは、ドイツに留学してからです。
ドイツ留学では、同じく国外に逃亡するように陸軍から留学していた西郷寅太郎(隆盛の長男)と完全に時期が重なります。
インターネットなんかよりも、人間関係の方が、よっぽどウエブ(蜘蛛の巣)状に複雑に絡み合っていますよね。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
松下村塾の関係では、高杉晋作という方を無視できませんね。本当に歴史は面白いです。特に幕末の長州藩というものは、常識で考えられないような事を多々行ってき神秘的な組織と思います。
司馬遼太郎氏は、乃木稀典の事は悪く描きがちですが、長州藩の事は高評価的に考えられていると思います。
松陰神社のそばに、井伊直弼の眠る豪徳寺があり、世田谷という場所も歴史的に趣深いものがあります。
高橋浩一 先生
長州藩の組織力・実行力が、まさに、「今」の日本にほしいです。
豪徳寺といえば、「招き猫の寺」ですね。
あの招き猫と、井伊直弼が関係あるなんていうのも、「授業のネタ」になります。
入試にはまったく役立ちませんが、こういう「歴史」がおもしろい…。
面白ついでに、「世田谷」城。
あそこにあったんですよね。領主は「吉良氏」です。
江戸幕府で吉良は「高家筆頭」ですが、吉良家は、もともと足利将軍に次ぐポストだったのですからね。
今川氏より上。徳川なんかよりは、もちろん、ずっと上の家格です。
足利か倒れたら、吉良が将軍を継ぐことになっていた…そうなっていれば、後の世の「忠臣蔵」もない…
なにか、お寺にゆかりのある二人の最期が、「斬殺」ということにも、歴史の因縁を感じます。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
世田谷城の吉良氏の件、存じませんでした。御指導ありがとうございます。
本当に歴史とは面白いです。
話は変わり長州藩ですが、あの頃は、藩自体の存続の危機が非常に強く、そこからのパワーが明治維新につながったのではないかと思います。
本当に今の日本に欲しいと思います。
高橋浩一 先生
ひとつの組織、事象が崩れるとき、必ず、外圧のほかに、内憂もあります。
長州藩でも、四国艦隊下関砲撃事件のほかに、佐幕派、尊攘派入り乱れて、上は老中から下級武士にいたるまで、壮絶な派閥争いがありましたよね。
今の日本でも同じことが言えると思います。
「未曾有の経済危機」だと騒いでいる割には、政策が殆ど問題にならずに、政党間の綱引きの政局だけが、三面記事的にクローズアップされすぎだと思います。
私は教員なので、そのときどきの「教育」にも注目しています。
長州というと、松下村塾のみ大きくとりあげられますが、実は、藩校の明倫館が果たした役割も大きいものがあると思っています。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
幕末の長州藩は考えられない程、凄いです。高杉晋作のような未来を鋭く見抜き、私利私欲なく頑張る方の存在が大きかったのではないでしょうか?
今は、本当に騒いでいるのに加え、足の引っ張り合いです。幕末も足の引っ張り合いが多々ありましたが・・・
21世紀の歴史を読んで勉強したいと思います。