昭和の歌
- 2009.07.08
- 日々のつれづれ

先日、中森明菜さんの「ムード歌謡~歌姫昭和名曲集~」というCDを購入しました。
曲目リストは
1. 氣氛歌謡 Openning
2. 経験 (辺見マリ)
3. 恋の季節 (ピンキーとキラーズ)
4. 夢は夜ひらく (藤圭子)
5. 他人の関係 (金井克子)
6. 面影 (しまざき 由理)
7. 雨の御堂筋 (欧陽菲菲)
8. ラブユー東京 (黒沢明とロス・プリモス)
9. 絹の靴下 (夏木マリ)
10. コモエスタ赤坂 (ロス・インディオス)
11. 非情のライセンス (野際陽子)
12. 伊勢佐木町ブルース (青江三奈)
13. 氣氛歌謡 Ending
と、この時代を生きた方々はつい、口ずさんでしまう曲が並んでいます。
私も子どもの頃はもちろん、研修医時代に先輩医師がカラオケで「ラブユー東京」を歌われた事を思い出すなど、昭和40年代以降の様々な記憶を呼び起こして頂きました。
昭和の曲といえば「ふたばひろみ & Deja vu」という、昭和30年から40年代の歌謡曲を中心に演奏されているバンドがあります。
http://hutaba-hiromi.com/deja-vu/index.html
私は今まで数回、Deja vuの演奏を聴きに行きましたが、いつも童心に返り、お酒と音楽を楽しめるので、応援させて頂いております。
最初にDeja vuのライブを見に行ったのは1年半程前です。
黛ジュンさんやザ・ピーナッツなど私にはほとんど記憶にない世界の演奏でしたが、子供時代に、酒でも飲みながら聞いていたような気分にさせて頂いた事を思い出します。
Deja vuとは、既視感、つまり初めての経験なのに、かつて経験した感じがする錯覚の事です。 医学的には、側頭葉の障害で生じると言われています。 初めて聞く曲があっても、まさにdeja vu的な感覚を味わえると思います。
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高橋浩一 先生
先生は、学生時代に、スポーツだけでなく、バンドも組まれて音楽を楽しまれていたそうですね。
私は、実は、ひらがなよりも音符が先で、学生時代は、レッスンにつくかたわら、「二足のわらじ」とまではいきませんが、小遣い銭程度には、ビッグバンド等に参加していました。
卑近な話で申し訳ないのですが、青江三奈さんが、あの「ため息」だけで、1ステージ(30分)数十万も稼いでおられたのを、思いだしました。
さて、「白い航跡」は、上巻を読み終わりました。
ここまで読んで感じたことは、確かに、高木兼寛先生は、とてつもなく優秀ですが、彼の優秀さは、周囲の人的環境によって、さらに、育てられていくということです。
彼に、それらを吸収するだけの有り余る能力があった、ともいえるでしょう。下巻の展開が楽しみです。
少々、質問があります。
高木博士だけでなく、すべての医師の方がそうだと思うのですが、自分が何科を標榜するのかは、いつ、どのように決まるのですか?
「白い航跡」のなかに、順天堂などいくつかの、いまでいう教育機関が出てきますが、それらは、それぞれ個別の得意分野を有していたのでしょうか?
内科・外科等の細かい分類は、いつごろからのものでしょうか?
今でも、各大学の「うちの売りは○○科」というようなものが、ほかの文系の大学のようにあるのでしょうか?
もうひとつ。
「白い航跡」の上巻で、早くも「藩閥」の話が出てきます。派閥人事などといわれますが、真理の解明が派閥で歪曲されることがないよう「脳脊髄液減少症」の行く末に思いをはせました。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
ビッグバンドに参加されていたなんて凄いですね!私は本当に趣味の域をでません。
御質問の件ですが、
専門科の決定は、医師になる時に決定すれば良い事になっています。また、入局後に変更される方もいます。
最近は入局までに2年間のローテーションがあり、当初の志望科から変更される方は増えているようです。
細かい科の分類はいつ頃からでしょうか?私も良く理解していません。
脳神経外科も以前は、外科の一分野でしたが、現在では、脳神経外科の中でも、髄液循環障害や小児疾患、脳血管疾患などサブスペシャリティーが分かれています。
また、各大学には売りはあります。大体、各科教授の専門性が売りになる事が多いと思います。
慈恵医大脳神経外科ですと、脊髄疾患、脳血管疾患が売りです。
「藩閥」に相当するのは「学閥」と思います。以前よりはその色彩はあせつつありますが、病院や大学により依然として存在すると思います。
脳脊髄液減少症に関しては、何とか認知へと、少数の肯定的な医師が力を合わせている状態でしょう。他の学会に比べ、批判し合う事が少ないと思います。
高橋浩一 先生
ご回答ありがとうございました。
近年の、産婦人科・小児科の減少が、少子高齢化にスパイラル的にますます拍車をかけているといわれていることや、
子どもの頃、近所のクリニックで、1人のお医者さんが、本当にたくさんの(歯科まで…)診療科目を標榜されていたものですから…(その方は、お亡くなりになりましたが。)
「白い航跡」で、なぜ、ドイツ医学が主流?になったか、はっきりしてきました。
桂太郎と関係あるのですね。まさに「藩閥」です。
西南戦争で敗死した西郷隆盛の子、寅太郎も、助命される形で、ドイツ陸軍に留学しています。
ソーセージの日本発祥と大きく関わっているのですよ。
この話は、またいつか…。
高橋先生は、吉村昭氏の「日本医家伝」はお読みになりましたか?
http://shop.kodansha.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2733552
高木兼寛先生をふくめ、次代を切り拓いた12人の医師を取り上げた、絵画でいえば、長編小説のための「ラフスケッチ」のような作品です。もしお読みでなかったら、是非ご一読ください。
廃刊になっていますが、図書館などでは容易に入手できます。
もう一つ。「高木岬」
http://blog.livedoor.jp/ldj04154/archives/16095913.html
たしか、慈恵医大の学内報?にもでていたような気がします。
高木岬の名前は存じていたのですが、それが、かの「高木兼寛先生」を冠した命名とは、気付きませんでした。まだまだ勉強が足りません。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
医療問題、様々な解決すべき点を抱えています。何かのヒントが得られるかもしれないので、「日本医家伝」チェックしてみます。
それから、「高木岬」は、我が慈恵医大学祖、高木兼寛先生の功績の一つです。ちなみに、明治絵画館に多くの歴史的な方々が描かれていますが、医師で描かれているのは、高木兼寛先生だけと思います。
高橋浩一 先生
「白い航跡」読み終わりました。
いろいろなことが、頭のなかをめぐりました。
たとえば、大隈重信候遭難やロシア・バルチック艦隊との日本海大海戦など、教科書級の歴史上の有名な事件の真っただ中に、高木兼寛先生がいらっしゃいました。
このことは、私が、これから授業をしていく上で、大きな宝となります。よりリアルに、歴史を語ることができます。
もうひとつは、先述の相田みつを氏の言葉です。
「人の世の幸せは人と人が逢うことから始まる よき出会いを」です。
高木先生の人生は、まさに、よき出会いから始まっている。
私も、そういう出会いを、これからも、もっともっと経験したいし、
生徒たちにもそういう経験をたくさんさせてあげたいです。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。それから、白い航跡、お読み頂き、重ねてお礼申し上げます。あきちゃんで~す様の歴史の講義を一度、受けてみたいです。
それから相田みつを氏の出会いの大切さ!の言葉、重いです。
私も人との出会い、付き合いを大切にしています。私の大切な友人達との出会いがなければ、今の私は間違いなくありません。
私自身、さらなる良い出会いを求めて、向上していきたいと思います。
高橋浩一 先生
お返事ありがとうございます。
本当にいろいろ示唆を与えてくれた作品でした。
もう一つだけ…高木先生は、何人かのお子さんを、ご自分より先に亡くされています。
私だったら、そのような悲しみには耐えられない…
高木先生の「強さ」は、そのような事からも来ていると思います。
お二人のお子様が、その後の慈恵医大の発展に力を尽くされたことも、高木先生にとっては、大きな喜びだったでしょう。
高橋先生に、「日本医家伝」をお薦めした関係上、もう一度読み返すべく、図書館で借りてきました。
まず、「高木兼寛」から読んでいます。
こちらは、明治15年の朝鮮事変から始まっています。
吉村昭氏の同人物を描いた二つの作品を読むことによって、
彼が高木先生について言いたかったことが、より鮮明に見えてくるかもしれません。
その後、他の医師の章も、読み返してみます。
話は変わりますが、今回のことで、いくつかのサイトを覗いたら、
「医大では、医療の歴史については殆ど学習しない。」というようなことが書いてありましたが、本当ですか?
ウソだとは思いますが…汗。
私は、法学部卒ですが、「日本法制史」は独立した科目でしたし、
そういう学会もあります。http://wwwsoc.nii.ac.jp/jalha/
医学部でも、そういう歴史をしっかり学ぶ必要があるのではないでしょうか?
そうすれば、「脚気論争」のようなことが、たびたび繰り返され、そのことが「脳脊髄液減少症」にも影響する、というようなことは、避けられると思うのですが…
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
現在では、東京慈恵会医科大学学祖であり、ビタミンの父として称賛されている高木兼寛先生ですが、非常な苦労があった事を汲んで頂きありがとうございます。
高木先生があっての慈恵医大、慈恵医大あっての私です。
それから医療の歴史ですが、各病気ごとの歴史は、大体学習します。例えば水頭症は、いつ頃から認識され、その後、治療がどのように進歩していったといった具合です。
ただし、医療としての歴史は学習しなかった気がします。(学生時代には、授業をよくサボっていたもので、もしかしたら、学習したかもしれません。)
という事で、本件に関しては強く意見主張ができません。(汗)
高橋浩一 先生
日本医家伝を読み返しました。
「白い航跡」の中に出てくる相良知安も描かれています。
高木先生らのイギリス医学に対抗して、ドイツ医学採用に狂奔した彼も、最後は貧民窟で生涯を閉じます。晩年は悲惨でした。
嫁ぎ先でうつされた性病という自らの屈辱感をバネに、医学の道を邁進した近代初の女医・荻野ぎんも印象的です。
吉村昭氏の作品は、そのように、時代にあらがって強く生きる主人公の姿を描いています。
やはり、ご自身の闘病と深く関係しているのだと推測します。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
「日本医家伝」はまだ読んでいません。今は山崎豊子氏の「不毛地帯」を読んでいます。
その後、お薦め頂いた「21世紀の歴史」を読ませて頂く予定にしています。
先になると思いますが、「日本医家伝」を楽しみにとっておきます。
高橋浩一 先生
一足お先に「21世紀の歴史」を読み進めていますね。
経済から歴史を眺めた本なので、読み手があります。
キーワードは「ノマド・オブジェ」です。
この言葉を追いかけていくと、彼が言いたいことが見えてきます。
本当に、金融+保険の破綻や、自動車産業の終焉について述べている…もう、二年以上も前に、です。
解る人は解っていたわけです。
なら、なぜ、今回の経済危機を防げなかったのか、防ごうとしなかったのか…
そういう素直な?疑問がわいてきたのは、私だけでしょうか…
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
「21世紀の歴史」読ませて頂いています。
金融、保険などの関係は苦手なのですが、大切な事なので勉強させて頂きたいと思います。