脳脊髄液減少症や水頭症など脳脊髄液循環障害を専門に診療を行っている高橋浩一の公式サイトです。

白い航跡

白い航跡

白い航跡:吉村 昭著(講談社)

私の母校、東京慈恵会医科大学学祖 高木兼寛先生の伝記です。

高木先生は、明治時代の海軍医で、脚気撲滅に多大な貢献をした事で有名です。

ただし、明治時代は東京帝国大学医学部によるドイツ医学が、絶大なる権威を誇っていました。ドイツ医学は、特に基礎医学が有名でした。

当時、薩摩藩の医師であった高木先生は、イギリスに留学し、イギリス医学を修得されました。イギリス医学は、臨床医学が中心でした。

イギリス留学から帰国後、海軍医となった高木先生は、当時、日本に流行し、軍人を悩ませていた脚気の研究に邁進されます。そして、脚気はある栄養の不足により生じると考え、海軍では白米中心の食事から、欧米の食事などに切り替え、脚気の撲滅に成功しました。

一方、東大が派閥を効かす陸軍では、海軍の医学を小ばかにし、高木先生の事を「麦飯男爵」と皮肉ります。

あくまで自説である「脚気細菌説」を強調し、「脚気が麦飯などで治るはずがない。」「科学的根拠がない」などと、猛烈なバシングを浴びせます。物凄い紙ページをさき、白米の有用性など、高木説に反論する論文が書かれたようです。

それからこの小説によると、高木先生が医学関係者の前で話をする時は、自分に賛同する者は稀で、大半が批判的な目を向けたそうです。中には、高木先生の説に賛成したがために、左遷させられた方もいたそうです。

その一方で、医学界とは別の一般大衆への講演は、非常に好評だったそうです。

高木先生が「脚気栄養障害説」を唱えて約30年後、脚気がビタミンB1の欠乏で生じるという事がわかり、世界レベルで高木先生の功績が認められ、「ビタミンの父」として称賛されています。

ちなみに海軍では、脚気の病死者は0であったのですが、陸軍では、日清、日露両戦争で、数万人という脚気病者をだしました。


新たな学説が登場した時、反論、批判が生じます。 
しかし、病気を治している実績に対し、病気そのものを治療できていない方々が批判するのは問題と思います。

明治当時の高木先生に対する批判は想像できません。しかし、バッシングに耐え、自説を曲げずに脚気を撲滅した高木先生に、尊敬の念を改めて感じ、その高木先生の創設された学校で勉強できた事に誇りを感じます。

そして母校の建学の精神である 「病気を診ずして 病人を診よ」 という言葉の意味を、再び重く、重く、受け止めています。