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家族の協力

家族の協力

著書、「病に打ち克つメンタル強化法」に対し、多くの方々から感想、御批判を賜りました。ここに改めて御礼申し上げます。

その中で、大病を患われたある男性から、非常に長文の御感想を頂きました。 以下、一部抜粋させて頂きます。

 「家族や周囲の協力がなければ、社会復帰は非常に困難であった…」 (著書106ページ)
不覚にも、読みながら待合室の長いすで涙してしまいました。
まったくその通りです。 私が病を得て、一番つらかったこと、不安に思ったことは、治療の痛さでも、入院の長さでもなく、「周囲から、頼られなくなってしまうこと」でした。
職場は、他の方が私の代わりをするのは仕方がないとしても、特に、家族の中で、私が事実上の「亡き者」になってしまうのではないか、という不安がよぎりました。
公立の病院だったので、いろいろな境遇の方が同室に入院されていました。幸い、私は見舞客が絶えず訪問してくれて、「見舞いの順番札」を出したほどです。本当です。
他の患者さんから「見舞客を分けてくれ」などと冗談も言われました。となりのベッドに、病気で失明された方が入院されたのですが、その方は、目が不自由で気の毒というより、見舞客が全くみえず、ご家族とお会いしたのは、入院と退院の時だけでした。もちろん、完全看護ですから、それでも身辺整理などの用は足ります。
しかし… 私が入院した二回は、ともに、二人の子どもたちの受験の年でした。家内は、仕事と家庭の両立で大変だったと思いますが、愚痴一つこぼさず、毎日、病室に来てくれました。
子どもたちは…思い出すと、今でも少し涙ぐみます。娘も家内も、「学校の三者面談は、お父さんとがいい!」と言って、病身の私を連れ出そうとしたのです。ちょうど、娘の三者面談の時期は、抗ガン剤投与直後だったので、私の白血球はゼロに近い状態でした。もちろん、感染の危険性があるので、外出はおろか、家族以外の面会も謝絶でした。
しかし、娘の学校にも大変ご理解を頂き、担任の先生が、「容態が安定するまで、面接は待ちましょう。」とおっしゃってくださったのです。 そして、白血球が増えてから、担当医からも時間制限付きながら、外出許可が出て、私と娘は、家内の運転で学校に出かけ、三者面談ならぬ、四者面談をしたのです。
幸い、娘の入試の結果もうまくいきました。 「家族や周囲の協力」とは、患者を「みそっかす」的によそよそしく扱うことではないと思います。例え患者であって、完治はしていなくても、家族や組織の中で自分の役割が与えられていること、そういう、「所属感」が、患者の自立をより促進するのだと思います。
私たち家族は、私が入院する前は、それぞれ一人一人が、単独で勝手に行動していました。…少なくとも、今では、当時をそう思っています。
私の退院後、家族が以前にも増して、何でも話し合い、特に私たち夫婦は、どこに行くのにも一緒に出かけるようになったことは、言うまでもありません。 これが、病気を得たことによる、文字通り、「不幸中の幸い」なのかもしれません。

闘病中の貴重な御経験と、御感想を賜り、誠にありがとうございます。

医療現場では、病人がでると、「家族の絆」が深まる方々と、「家族の溝」が深まる方々がいます。

健康な方々の家族であっても、離婚など別れはありますので、家族の問題は一元的に語れる簡単な問題ではありません。

また、看病は時に非常に大変です。看病疲れで、ダウンされる方もいます。

しかし、やはり家族の協力は大切です。特に、病を患われた時には、尚更と思います。これは、子どもだけでなく、大人もです。

今回、御感想を頂いた男性は、一家の主であり、病を患われた現実に接した時の心中は察する事ができません。今、元気に活躍されているのは、御家族の協力が、非常に心強いものであったからと推察します。

我々は現実の世界に生きているため、嫌な事、辛い事などは避けて通れない部分があります。が、「家族」という絆に関しては、理想論を追及したくなります。