脳脊髄液減少症や水頭症など脳脊髄液循環障害を専門に診療を行っている高橋浩一の公式サイトです。

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どうしても行きたい所があり、先日、やっとその地に行くことができました。

私は小学低学年の時は、オリンピックに長距離選手として出場することが夢でした。

2021年 │ 山王病院脳神経外科・Dr.高橋浩一

理由は、子ども心に1972年に開催されたミュンヘン・オリンピックで5位に入賞された君原健二さん、そして途中までトップを快走された宇佐美彰朗さんのマラソンに感動を受けたからです。

伝説のランナー │ 山王病院脳神経外科・Dr.高橋浩一

オリンピックを夢見ていた私は、1964年に開催された東京オリンピックを特集したアサヒグラフを夢中になって読みました。そこには、マラソンで銅メダルを獲得された選手が紹介されていました。

その選手の名は「円谷幸吉」選手です。凄い選手が日本にいたんだ!と興奮したのもつかの間、母から円谷さんが自殺されたと聞かされ、衝撃を受けました。

円谷さんの生涯を綴った本を読み、感傷に浸っていた小学生時代を思い出します。

円谷さんの自殺を知ってから半世紀経ち、ようやく円谷幸吉メモリアルホールを訪れることができました。

自筆の遺書も展示されています。

「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」の文章もあって・・・あとは何も言えません。円谷さんのことは風化させてはいけないと思っております。

「一人の道」ピンク・ピクルス(円谷幸吉)

円谷幸吉研究 – 円谷幸吉が愛した躍動感あふれる丘のまち須賀川を想う

円谷幸吉 「時代」に殉じたランナー – オリンピック・パラリンピック アスリート物語 – スポーツ 歴史の検証 – 知る学ぶ – 笹川スポーツ財団

(6) 驚きの証言。円谷幸吉1964年東京五輪マラソン銅メダリストの自死、その裏にあったもの。私たちが学べるものは・・・ – YouTube