それゆけ僕らのファイターズ
- 2015.08.23
- スポーツ
先日、日本ハムファイターズ レジェンドシリーズ2015を、観戦してきました。
日本ハムファイターズ誕生当時のユニフォームです。
応援でファイターズ賛歌が流れました。
後楽園球場時代、このファイターズ賛歌は、イニングの最初の打者に向けて流されました。
また当時の日本ハムファイターズの球団歌のA面は「それゆけ僕らのファイターズ」という歌でした。
ピッチャー交代で、次の投手がリリーフカーに乗って登場する時に流れていた曲ですが、Bクラスに低迷していた弱小の頃、頻繁に、むなしく感じる位に流れていたのを思い出します。
1990年代はカラオケに行っても、当然、ファイターズ賛歌は用意されていません。
そのためカラオケバージョンの入っているミュージックテープを購入して、流してもらって、無理矢理歌わせて頂いたのを思い出します。
また携帯でも、作曲モードで作成したファイターズ賛歌を着信音としていました。
そんな昔を思い出しながら、今ではすっかりメジャー化しつつあるファイターズの試合を眺めていました。
高橋浩一 先生
張本選手を放出してからの日拓ホームフライヤーズ時代は、かえってあの七色のユニフォームが、派手なだけに痛々しかったような気がしています。
現在の北海道での隆盛をだれが予想したでしょうか?
経営陣のご努力に、心から拍手をお送りします!
それでも、ジャイアンツおやぢな私がここにいます。笑
高橋浩一 先生
日拓は一・二年だけでしたね。
どうも、張本といえば「東映」のイメージがつよいので、日拓や日ハムの感じがしていなかったので、勘違いしていました。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
七色のユニフォームしかり、キスしたら入場料を割り引きしたりなど、東京でのファイターズの経営努力は涙ぐましいものがあります。
東京ファイターズの頃、今のファイターズの活躍を夢見てはいましたが、現実になり嬉しく感じています。