なぜ君は絶望と闘えたのか
- 2011.02.15
- スポーツ
「なぜ君は絶望と闘えたのか -本村洋の3300日-」門田隆将著(新潮社版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/123142/
私は、悲しい話は、極力、見ない、読まないようにしています。特に医療系の悲劇のドキュメンタリー。
医療系でなくても悲しい話は、気持ちが落ち込むので、なるべく遠ざけています。
しかし上記著書は、先日、門田先生にお会いさせて頂き、お考え、姿勢に感銘を受けたので、拝読させて頂きました。
内容は、涙を抑えられないような悲劇から始まり、読むに耐えられなくなりそうになりました。
そこを読み進めていくと、加害者を守る制度があるのに、被害者は守られないという体制を何としても変えていこうとする本村洋氏の姿勢に、次第に惹きこまれていきました。
交通事故被害者にも同じような状況が存在する!
「裁判官が日本を滅ぼす」
とともに、様々な事を考えさせられた、読んで良かったと思えた本でした。
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高橋 浩一先生
いつもお世話になっております。
「裁判官が日本を滅ぼす」を、すぐに取り寄せて拝見しました。
私たちは、医師と裁判官の判断が絶対に正しいという認識で専門的判断を仰いでいます。
それが、診断であり、判決です。
医療裁判では、『脳脊髄液減少症』のケースでも理解不能なエピソードに事欠きません。
科学的に学会上で議論すべき事が、専門外の裁判官に審判されることに限界を感じてしまいます。医師の裁判員も必要になるかも知れません。
裁判官も患者を救いたい気持ちがあると思います。
しかし、医学会でも統一見解が得られていなければ、医師ではない裁判官が判断することは出来ないでしょう。
利害関係が複雑で、理解力、探求力に自信がないと、『心因性』という一言でまとめられてしまい、解決を先送りにするような判断結果になってしまうと思います。
現状の判決には、脱力感と憤りを覚えてしまいます。
現在、私たち患者のために、『脳脊髄液減少症』という病気を、厚生労働省の研究班で評価してもらえるようにしてくださった先生方のご尽力があります。
いままで、『脳脊髄液減少症』は、病名として保険で認められておりませんでしたが、今後、診断基準が出来ることによって、『脳脊髄液減少症学会』も誕生するでしょうし、症例も集まって、研究や裁判も成熟していくでしょう。
希望を持ってがんばります。
先生、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
みんなの体です。どうぞ、ご自愛くださいますよう。
M様
コメントありがとうございます。
>医師と裁判官の判断が絶対に正しいという認識で専門的判断を仰いでいます。
当然でしょうし、私も、裁判とは、真実と正義を証明して頂ける場と考えていました。
自分の事を棚に上げますが、医師でも裁判官でも弁護士でも、他の仕事でも、自分の専門知識に加え、社会的常識が必要になります。
これらが欠如していたり、利害関係が絡んだりと、様々な事が生じるため、社会は複雑で、考えさせられます。
私自身も、常識にかける点などあり、未熟で偉そうな事を言える立場にありませんが、「七つの習慣」で言う「真北の原則」を念頭に、行動したいと思います。
高橋 浩一 先生
この事件は、マスコミでも大きく取り上げられ、書籍や映画にもなり、
大きな反響を呼びましたね。
私は、被害者の夫のM氏の変貌ぶり?に、大変胸を打たれております。
事件の当初は、か弱い男性にも見えましたが、裁判を重ねていくうちに
(刑事事件ですから、被害者の夫・父という立場のままだったでしょうが)、
どんどん、目つきが鋭くなり、理論武装も強固になり、立ち居振る舞いまで、
きびきびされてきたようにお見受けしました。
M氏は、「被害者の夫」です。
今までのいきさつがどうであれ、その事実は動きません。
それなのに、ここまで変わらなければ、自分の権利も守られないのでしょうか?
普通に暮らしていたのでは、軽んじられて、やがて、忘れられてしまうのでしょうか?
「普通のことが普通に守られる」社会でなければいけないと思います。
脳脊髄液減少症の現状も、「普通のに認められるべきことが、普通でない」状況に
あると思います。
そういう状況に気づいた人が、みんなでそろって声を上げていくことが重要だと
思います。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
今までほとんど、法律、裁判について深く考えた事がなかったのですが、身近に起こっておる問題もあり、最近は考えざるを得ない状況になりました。
命をかけての本村氏の姿勢、タイトルの通り、「なぜ闘えたのか!」
なんとも言葉にできない感覚でいます。