歴史ある三医大戦
- 2009.11.01
- スポーツ
東京大学医学部、慶応大学医学部、そして我が東京慈恵会医科大学の陸上部が競い合う、「三医大戦」が、今年は開催から80周年になります。
野球の早慶戦より古い歴史を持ちます。
先日、第80回三医大戦記念大会が開催されました。
今回は記念大会という事もあり、各大学のOBも参加しました。
私は1500m, 5000mの二種目に参加させて頂きました。
学生時代、毎日のようにトラックを走っていたのですが、医師になってからトラックレースは初めてです。
約20年ぶりのトラックを、非常に楽しく走らさせて頂きました。
また現役部員の活躍を見て、心が和みました。
夜は、レセプションパーティーです。
各大学から、現役部員に加え、OBの先生方も参加され、盛大に行われました。
終戦の年に医学部に入学された先生から、戦後間もない時期の三医大戦の戦いの状況などを伺いました。
80回大会を迎えられたのも、学生時代、何気なく試合に参加できたのも、多くの先輩先生方々の御苦労、御尽力があってこそと、深い感謝の気持ちで一杯になりました。
パーティーでは東京大学が「ただ一つ」、慶応大学が「若き血」を歌い、我が東京慈恵会医科大学は「第一学生歌」を斉唱し、お互いにエールを送りました。
今後、益々三医大戦が発展する事、そして東京大学医学部、慶応大学医学部、東京慈恵会医科大学陸上部の活躍をお祈り申し上げます。
高橋浩一 先生
「ただ一つ」と「陸の王者」は、敵の歌?として、神宮で四年間よくききました。笑
高橋先生は、うらやましいかぎりです。中距離走は、一番心臓にはきついはずです。それが、まだ走れるなんて…将来的には「マスターズ」なども狙われたらいかがですか?
私の休日は、代休で今日でした。
渡辺謙の映画「沈まぬ太陽」を見て参りました。
今までの山崎豊子作品に劣らず、綿密な取材が光る作品でした。
今、JALがいろいろ話題になっている時だけに、それとの関連を思わせるようなシーンもたくさんありました。
例の日航機墜落事件も詳しく描かれているのですが、人の安全を預かる仕事の重さについて深く考えさせられました。
苦境に立たされる主人公をどこまでも温かく見守る妻の温かさが印象的でした。
高橋先生も、是非ご覧になってください。
いよいよ、日本シリーズは第3戦ですね。楽しみです。
ダルビッシュは、体調は、万全ではないようでしたが、それでも「ナイスピッチング」でした。さすがです。
いろいろ性行的には問題のあったと言われる彼を、真っ先に取りに行った山田GM(当時シニアディレクター)の眼力には、心より敬服いたします。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
東京慈恵会医科大学は、「大学」ですが、医学専門のカレッジです。
総合大学であるユニバーシティーは、野球にしろ、陸上にしろ、母校を応援する機会があり、羨ましく感じています。
そんな中この三医大戦は、母校を応援し、ライバルを讃える良い機会と認識しました。
それから中長距離走は、私を運動へ導いてくれた原点ですので、大切にしていきたいです。
高橋浩一 先生
六大学野球の話は、中年おやぢにとっても、いつまでも「青春」を語れます。
正月にある箱根駅伝では、親子敵味方に分かれて、ちょっとした「合戦」になります。お互いホロ酔い気分で…
「白い航跡」だったか、どこかで、福沢諭吉翁の医学への精神を受け継いだのは、実は、慶応の医学部ではなくて、高木兼寛博士の慈恵医大だったというのを読みました。
息子は、歴史の古い大学、娘は、歴史の新しい大学に進みました。
どちらにも、良い点がありますが、やはり「歴史の重み」は「人の重み」だと、二人の進路を見ていて思います。
特に慈恵医大は、「白い航跡」で、その創設から高木博士のご子息による成長期までを知ることが出来たので、なおさら関係の方々のご活躍を熱く応援いたしております。
あきちゃんで~す様
コメントありがとうございます。
三医大戦の始まりは、不明な点が多いのですが、昭和初期の東京で「医大」を名乗っていたのが、東京大学、慶応大学、そして東京慈恵会医科大学だったそうです。
話は少々それますが、知人のお父様が、慈恵医大の大先輩という事でお話しを伺いますと、戦前は医大学生でも、陸士などに召集されたそうです。
そして卒後25年の同窓会、集まった先輩方は50歳位だったそうですが、約半分の先生方が、その同窓会までにお亡くなりになっていたという、非常に厳しい時代だったそうです。
その知人に「父が生きていて、80周年の同窓会に参加させてあげたかったな・・・」という言葉に、思わず言葉がつまりました。
高橋浩一 先生
医大と医専の違い?については、私も、違うところで伺ったことがあります。
そういう「伝統の力」と「進取の気概」が一緒になってよい成果を生み出すのが、「大学の価値」だと思います。
「不易と流行」…よくいわれる言葉ですが、両方を追求する姿勢をいつまでも持ちつづけたいと思います。
私の恩師は、陸士の一番最後のほうの卒業生で、八十を過ぎた今でも「国際法」に携わっていらっしゃいます。
ただ長生きをすればいいというものでもないですが、無為に生命を粗末にするような行いは、やはり避けるべきと強く感じます。
高橋浩一先生
実は私も巳年なので、
先生が1500mや5000mを走ったと聞いてびっくりです。
しかも
「約20年ぶりのトラックを、非常に楽しく走った」だなんて!
その言葉に、心がなぜか「ほわわぁ~ん」としました。
先生のプロフィールを拝見すると、運動や音楽など
趣味や特技を長く続けていらっしゃるですね!
素敵です (^.^)
そういうパワーやリセットタイム(?)が
過酷なドクター勤務を可能にしたり
患者さん達と向き会っていく優しさを生み出しているのかなぁ
・・・なんて勝手に想像してみました。
私は怪我するまで、トレッキング・音楽・英会話が趣味でした。
今では「音楽を聴くこと」だけが残りましたが、
ウォークマンを聴きながら青空を見上げて散歩していると
脳みそがとても喜びます。
今の私にとっては最高に幸せな時間です。
こんな些細なことですが、苦痛なくできる瞬間が増えてきたことが
同時にとても嬉しくもあります。
これからもゆっくりと自分のペースで「楽しいこと」を増やしながら、
焦らずにこの病気とつきあっていきたいと思います。
へびくま様
コメントありがとうございます。
運動、音楽は私の趣味です。ストレスなどの発散に、大いに利用させて頂いています。
良い仕事をするために大切と、勝手に自分の都合が良いように解釈しています。
>ウォークマンを聴きながら青空を見上げて散歩していると脳みそがとても喜びます。
脳の疲労をとってくれる、良い方法でしょうね!
ヘビくま様と私は同年代のようですので、聴く曲も似ているかもしれませんね!